鉄・雑日記
2017-12-10T00:15:20+09:00
tetsuradiq
一般席車は後ろ4両。青色乗車位置の13番から24番、2列に並んでお読みください…。
Excite Blog
簡易更新で追っかける決意表明
http://tetsuradiq.exblog.jp/24639876/
2015-06-30T00:00:00+09:00
2015-06-30T00:17:35+09:00
2015-06-30T00:09:23+09:00
tetsuradiq
未分類
でも、2010年3月の記事を最後に2015年6月くらいまで更新してなかったこのブログ。要は放置してた期間中は別の趣味へ重点が飛んでしまってこちらはかなりおろそかでブログがこんな状態に。 しかし、鉄もやめてない。この趣味も一生もの。ストップしたのがちょうどデジ一・デジカメに全部移行した時期だったのでほぼ途切れることなく日付管理のできた画像だけはPCに山盛り。眠らせておくのももったいないということで、やっぱり活動記録をつづろうと思い立ったが吉日。ただし、以前のように活動内容を逐一書いていると追いつかないし覚えてないので、画像中心で思い出したことをちょこちょこ書く簡易な更新で、追いつけるだけ追いついてみたいと思います。
さあ、この上に記事が書ける日はやってくるのか。
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東京遠征・昼は東急、夜は西武?
http://tetsuradiq.exblog.jp/27841188/
2010-08-27T23:50:00+09:00
2017-12-10T00:15:20+09:00
2017-12-10T00:15:20+09:00
tetsuradiq
撮影記
どーんと、顔ドアップの大井町線9000系緑各停。もうこの頃は大井町線の溝の口延伸が完了しており、現在のように純然たる各駅停車の「青各停」と二子玉川~溝の口間ノンストップの「緑各停」という2種類の各停が走るようになっていた。これは奥が二子玉川っぽいから、二子新地で撮ったのかな…?ま、大井町線は線内で撮れる定番駅はわかってたので後でいくつもり。9000系も方向幕からLEDへの更新が始まっていたこともあり、幕車だと抑えたもの。狙いは、東急車運用でわずかに残っていた方向幕車が入る通称「サークルK」(東武非乗り入れ)限定運用で見つけていた半蔵門ゆき。サークルKでもLED車はそこそこいるので賭けだったが、この日は8590系が入っておりオッケー。ま、ちょっと小さいけど(トリミングしてません)。ちなみに午前7時半前。ラッシュも厳しくなりそうな時間帯だったがここから、東横線へワープ(二子玉川から大井町線で自由が丘、で、東横線?)。だが、撮影ポイントがうまく決まらなかったのか大倉山の元町・中華街方で待つことに。狙いはかつてラッシュ後に走っていて、東急の撮影の際にはよく撮っていた急行元住吉ゆきが目黒線延伸の関係で消え、大半は武蔵小杉ゆきとなったもののなぜか菊名ゆきが1本あるのでそれを狙うつもり。が、これではこの画像のようにケツ打ちになってしまう…けど妥協した模様。当時は9000系が東横線からいなくなると思ってこれを撮っていたのだろうか…。単に幕車の9000系が通勤特急だと撮ったんだろうけど。こんな架線柱ガッチリなアングルでも通勤特急渋谷ゆきを撮っているのは、東京メトロ副都心線ができればもう渋谷ゆきはほとんどないだろう、という思いはあった気がする。ただ、現実は渋谷ゆきは副都心線ができてからも残っていた上に、記事執筆時点では撮れない深夜帯とはいえ通勤特急渋谷ゆきも残っていた…。そして目当ての急行菊名ゆきだが…ありゃ、Y500系…。LEDの切れやすいタイプで来るとは。焦りつつシャッタースピードを1/250に落としたもののまあ菊名ゆきとは認識できるし、車体のブレはそこまで目立たず済んだが…。さすがに東横線がどういう運用組んでいるのかまでは把握しておらず。撮影終了で下りてみると、「しぶそば工房」が。ああちょうどいいとここで朝食代わりのそばを食べた覚えが。でも、もう大倉山駅の店舗は既に閉店しているそうで。
つぎ…は多摩川の渋谷方ホーム端へ。ここは東横線も目黒線もいけるお手軽ポイント…といっても目黒線は東急5080系の種別以外は全部LED行先表示の車両ばかり。せっかく行先はバラエティーに富み、急行運転も開始されたのにな…というところではあるが、おっと、入線で列車のスピードが落ちているから1/160に落としても東急3000系の行先表示がはっきりで、ブレもない。なんだ、なら行先狙いで撮れるじゃないか…。で、英字に切り替わったら2段表示になるのね。個人的にはやっぱり日本語表示の方がいいのだが、この2段書きの急行武蔵小杉ゆきはなんかカッコよく感じた。ただ、あくまで入線のため減速してるから1/160でも撮れるというもので、行先表示の豊富な目黒方面の電車は加速していくのでケツから1/160で撮ってもダメである。メトロ9000系や埼玉高速の2000系は1/400でいけたが、都営6300系は1/160でもチョイ切れを起こしていた。一方、伝統の日比谷線直通はこの当時消えるという話はあったのかなかったのか覚えていないが、「あ、南千住ゆき!」ということで1枚。こんな感じで複々線を3本走るなんて光景も見られたりと、なんだかんだで1時間以上撮影に興じて次なるポイントへ。大井町線撮影では有名ポイントの尾山台へ。もう何度も来ているが、6000系が入ってからは2度目か。あいかわらず車種は豊富だが、LED行先車も増え、なにより大井町線車を示すオレンジのグラデーション帯に帯色が変わったのがちょっとしっくりこない、な。やっぱり。登場当初は奇抜に感じた6000系だが…やっぱり今見ても奇抜だな…。行先が日本語で撮れるかローマ字で撮れるかはもう運しかない。その点幕車はシャッタースピードも高速化できるし、行先表示も運任せでないし、文字は個性があるしと。…もうこの姿も記事掲載時点では過去帳入りだそうで。まあ9000系のLEDは運行番号以外1/500でも止まるんだけど…。大井町線も結構いるときりがないのでこの辺にして、ということで、東武…ではなく田園都市線へ。早朝撮った44Kは午後に急行運用に入ることを把握しており、それを撮ることに。で、まず定番なところであるあざみ野で撮ってみたのだが、東武50050はLED厳しいなあ。で、なんかしっくり来ず、場所を変えてみようと動いてみたら、時間の把握をミスっていたか、江田ですれ違ってしまうハメに…orz。なんとかケツ打ちで記録はできた…という程度。もっとちゃんと撮りたかった…。ただ、折り返しがある。ということで、追っかけ…過ぎるとまたすれ違うとかあるので、次の市が尾が明らかによさそうだったのであっさりここに決める。逆光気味なのは仕方ない。急行押上ゆきで無事確保。結局優等の走る東急線を全部撮って乗ってしたのでありました。
ひとまず鉄活動はここまで。宿を大井町に取っていたので、荷物を一旦置いて、再出発。ここからは第2目的に。夕方前の西武池袋駅。昨日も野球見たのに今日も?…はい(笑)。でも「そのつぎ」の通勤準急でノロノロとは行ってないはず(笑)。ただ、池袋で5時前だと、もう西武球場前に着く頃には試合開始ギリギリになりそう。ちなみに、池袋駅の柱には、こんなPR看板。赤いライオンズ…?西武球場前到着。…乗ったのこれだったっけ?でも、これから降りてるように見える写真だし、これに乗ったんだろうな。ちなみにこの「銀河鉄道999デザイン」の3000系3011編成、両先頭と中間1両がそのまま今も横瀬基地に保存されてるそうで。てことで、池袋駅の広告にあったとおり、この日は既に当時定番行事となっていた埼玉西武ライオンズの復刻ユニフォーム企画「LIONS CLASSIC 2010」(ずっとやってると思ったら、2014年で一旦終了していたのを今知った)。今回は福岡のライオンズ時代の「太平洋クラブライオンズ」の赤ユニフォームの復刻が行われており、その試合(対東北楽天戦)を見に来た。ちなみにこの時のドームの名前は…調べたら「西武ドーム」に戻っていた時期だった。試合開始時のドーム…まあ平日ナイターだし客入りはこんなもんでしょ。ちなみに既に西武が3塁側ベンチに変わった後なので、こっち側にはもっとお客さんいました(笑)。白ベースながら赤袖が目立つユニフォーム。個人的にプロ野球の歴史を紐解くのに凝っていた時期もあり、このユニフォームは西鉄身売りによるどん底時代からなんとか目を引こうと敢えて奇抜さを狙ったものだったという。今だと大して派手とも思えないがこれでも当時は十分目立ったという。試合はというとまあこんな感じで一方的に楽天にやられた試合ではあったが…(スコアボードのチーム名表示がちゃんと太平洋時代のLionsロゴになってるのがポイント高い)。この日は試合終了後にもお楽しみがあり、試合終了後の外野グラウンドが開放された。この日も試合時間が3時間半を超え、既に9時半を回っていたが、これ目当ての家族連れも多かったようで、結構残って楽しんでいた。ちなみに人工芝のグラウンドレベルってこんな感じ。周りの人のように私もただべたっと座っているだけだったが、非日常感があって楽しめた。ちなみに、ドームには西武グループの企業広告が掲げられているのだが、ちゃんと「近江鉄道」が入っていることになんか「おお」と感じてみたり。ということで、夜遅いこともあってか時間は15分ほどで幕となったが、こういうのは面白い。まあ最近はどこの球団でも結構やってるところ多いようだけど。外にでてみると、歴代のユニフォームが展示されており、そこには伝説の「胸番号ユニフォーム」も飾られていた。平日ナイター、しかもライオンズは大敗しており電車で帰る観客は分散しているであろう感じではあるが、時間は遅いがイベントがあったこともあってか、まだ電車は7分半間隔で優等列車の運転も残っていた。ちょうどこの年のダイヤ改正から野球観客輸送の帰りの便史上初の急行が設定されており、それが先発だったが、なんかそれも慌しいし、つぎは清瀬止めの各停だしと結局3番手の快速で帰った。…結構時間かかったんだよね。ということで、山手線で帰るもふと大崎でりんかい線に乗り換えた方が早いような気がして乗ってみた頃にはもうこんな時間になってました。明日も早いのに。]]>
東京遠征・撮りたかった両矢印から
http://tetsuradiq.exblog.jp/27830121/
2010-08-26T22:55:00+09:00
2017-12-07T23:33:25+09:00
2017-12-06T22:57:34+09:00
tetsuradiq
撮影記
記事執筆は7年も後。ただ、恐らく大して寝れなかったであろうことは容易に想像できる。もやーっとした感じで横浜駅に降り立っただろう。で、乗り換え。 これももうなくなってしまった京急横浜駅のパタパタ発車案内。既に上下の乗り場分離は行われた後である。まだ午前5時前。この浦賀ゆき普通車が1番電車だったような気がする。緩急接続天国の京浜急行にあって、終点浦賀まで先着という。ただ4両ということもあってか座席はそこそこ埋まってきた記憶がある。これで、まず金沢八景へと向かう。まず第1目標。 両矢印の行先表示である。京急ではおなじみの支線折り返し列車に見られる両矢印表示。大師線は今でもこれだし、当時は京急蒲田が未完成でダイヤ改正のたびにごちゃごちゃ変わっていた空港線もラッシュ時に比較的線内折り返しがあった。一方、逗子線だけは線内折り返しが早朝深夜だけの設定で、走りを撮ろうと思うと、たとえ京急沿線で泊るにしても早朝からホテルを出てなんてするのもきつく、むしろ「ながら」で乗り込んだ方がやりやすかった。数少ない線内折り返しの新逗子ゆきで神武寺へ。お手軽にここで駅撮り。なんかとなりに他社の新車(当時)が映り込んだりしてますが…。すっきりかっちりと1500形で抑えられた。ちなみにまだ6時前だが、たしかこれが朝ラストの線内折り返しだった気がする。 目標終了(笑)。もう今日の一番撮りたいものが終わってしまったのでやや気が抜ける中、金沢文庫に戻ると増結4両待ちの列。午前6時過ぎなんですけど…。この間どうしたのか、このあと、京急川崎のパタパタ(記事掲載時点未だ現役)の画像やら動画が残っていたということは、ここの改札内の「えきめんや」で朝飯でも食ったんだろうか。で、この後下りが撮り易い子安へ移動し、なんとなく京急撮影。といってもいちおう目標があり、この年に新設された空港線から京急蒲田を経て南へ下るエアポート急行の中でも設定本数が少ない金沢文庫ゆきのエアポート急行が目当て。ただ、その列車の到着までには1時間以上ある状況。まあ、来た列車来た列車抑えつつという感じで目当てを待った。 でも、来て早々撮ったのはすぐ横を走るJRのEH200だったりするのだが…。まったく馴染みがない形式がたしかゆっくり単機回送してきたので、思わず撮った。特急浦賀ゆきってもっと朝早くてレアなイメージがあったのだが、撮れた。まあ実際今も本数は皆無だと思うが…。このエアポート急行もちょっとレアだったはずの神奈川新町ゆき。レギュラーのエアポート急行は新逗子まで行くのが基本。まだこの頃の2000形は南側のエアポート急行新設で活躍の場が増えたなんて言われていた気がするが、記事掲載時点ではもう風前の灯だそうで…。 で、この頃から近辺で保線の皆様方が作業に入られておりまして…(苦笑)。その方々に囲まれつつエアポート急行金沢文庫行きは過ぎていきました。うーん…1500形か。まあ幕車だからキレイに撮れたしよしとするかという感じであった。
これで京急は打ち止め。ただ、また京急というのも芸がないしと(というか18きっぷ使用だったのかな?忘れた)京急新子安へ行って、JRの新子安駅へ。ここめっちゃきれいに撮れますやん…。知らなかった。ただ、なかなか東京に行くとJRまで手が回らず、今までさんざんいろんなものを撮り逃がしている気がする。後から考えるとってのが多いよな。例えばこういう快速東十条ゆきなんてものも、なかなか行先ヲタをくすぐってくれる。さすがに103の時代はムリにしても、幕車の209時代なら、暇を見つけてれば撮れたような気がする。E233系1000番台化されて久しいが、JR東日本のフルカラーLEDはクセがあってシャッタースピードに気を使わないといけないので…。これは1/250で止まっているが…。
で、横浜に戻って続いて向かったのが相模鉄道。その昔新6000系のさよなら運転へ唐突に撮りに行ったのと、朝ラッシュを撮りに1度行ったくらいでそれもだいぶ前の話。今回は何で行ったのかあんまり理由はなかった気がする。で、撮りに行く前に…、 ここで腹ごしらえ。ここはうまいと昔からネット上でも評判の相鉄横浜駅構内にある「星のうどん」。…なんかどこにあるのかいまいち覚えが悪く、たどり着けなかった時もあった気がする。何食べたかはもう忘れましたけど、実際うまかった覚えはある。 で、最初は昔撮った時に行った覚えのある星川へ行ってみたのだが、当時絶賛高架化工事中でとてもじゃないけど撮れない。ということで、先へ進む。いずみ野線が撮れなくなるがやむを得ないと二俣川も越え……これどこだろ。結局わからずじまい。そして当時の最新型だった11000系はフルカラーLEDがまるでダメ…。
ダメもとで1/200で停車中を撮ってみてもビミョー…。で、この駅での撮影自体ももうひとつな感じで別の駅へ。こっちはまあまあ。10000系は1/500でも行先は映った。まあでもやっぱり幕車は安心して撮れる。7000系1つ抑えたしこれでいいかと海老名へ出てそのまま必然的に小田急へ。で、動かずとも海老名もきれいに撮れる場所なんだよね…ということでしばし。設定の経緯からしていつなくなっても…という存在だった区間準急。ほとんど多摩線に行ってたイメージがあるが、本厚木ゆきもちょこちょこあったような。こちらは1/500ですっきりと。小田急は4000形が結構シャッタースピード設定に苦しむものの、ほかはそうでもないような。これはたぶん狙わずしてLSE原色の特急ロマンスカー「はこね」を。ただ、この頃はまだボディーを塗り替えただけで窓枠などは黒かった頃。8000形+3000形?8000形の幕車もまだこの頃はいた。この時分だとまだ小田急顔の5000形もいたはずだが、この時は拝めず。そして、新百合ヶ丘から多摩線に乗り換えて栗平で後打ちしてみたのだが・・・LED車ばかり来たからかもうひとつしっくりこず早々に切り上げ。とはいえ、今見れば記事執筆時点でもうすぐなくなる多摩急行でメトロ6000系なんだからそれはそれで。やはり日常の姿の記録って大切だなと。 さて、後はブログ的にはおまけ…ってコンデジの記録だといきなり京王井の頭線渋谷駅の発車案内が1枚。井の頭線の写真は撮ってないので、下北沢から純粋に渋谷に出ただけ…?ああ、メトロ銀座線かな。この後、神宮球場(銀座線外苑前駅最寄)に行ってヤクルトVS横浜戦の観戦に行ったのだ。この頃はいわゆる「復刻ユニフォーム」のイベントものがある時にあわせて東京遠征して昼は鉄ヲタ、夜はプロ野球で復刻ユニフォームの試合を見るようになっていた。といってもヤクルトの方はまだ当時は見覚えのあった少しだけ前のユニフォーム。先発由規に荒木ピッチングコーチというのがまた。一方の横浜は何度か復刻していた横浜大洋ホエールズのユニフォーム。でもこのネイビーユニフォームは結構好きなデザイン。横浜大洋時代はいちおう知ってる世代だし。ちなみに写真は内川(笑)。別の画像には村田修一もいた。まあ、このカード自体はどっちが勝っても…という感じでまったりと見てました。ただ、…9回で終わってるのに4時間近くかかる長ーい試合だった。いや、長く球場に入れるのは普段はいいんだけど、明日も朝から動くだけに…もうちょっと早くても良かったなとは思ったが、ビジター練習からヒーローインタビューまでちゃんと見ることを身上としていたので途中で席を立つ気はなく。ああ、寝る時間少なくなるなと。ちなみにどこに泊ったかはもはや記憶にすら(苦笑)。翌日は東急田園都市線からスタートしているので、そこの沿線のビジネスホテルに泊ったのかな…。
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東京遠征プロローグ・ながらのために
http://tetsuradiq.exblog.jp/27830010/
2010-08-25T23:50:00+09:00
2017-12-06T21:59:17+09:00
2017-12-06T21:59:17+09:00
tetsuradiq
撮影記
「ながら」に乗る為に新幹線を使うというなんかちょっと矛盾な感じ。時間も時間だけに「こだま」も行先が静岡までに。で、米原まで。…やっぱり始発の大垣から乗りたいじゃないですか。もうこの当時だと東海道新幹線のパタパタ発車案内は主要駅以外にもフルカラーLEDが進出してきていた関係でかなり減少していたような記憶がある。いちおう動画にも表示変更シーンを収めてあった…。
さて、ここから在来線。大垣まで。待っていた普通電車は…117系の8両編成(!)。2010年だとまだ現役だった。「ムーンライトながら」に接続する普通っていつの頃も結構117だったイメージがあるが違うだろうか!?車内はガラガラ…というかなんか床が思いっきり水濡れしていてギョッとした記憶がある。なんでこうなってたのかはもうあんまり覚えてない。で、「ムーンライトながら」へ。当時は国鉄色の183系グレードアップ車が入っていた頃。編成中に1両だけだったか簡易リクライニングシート車が混じっていると恐れられていた頃である。この日は当たってなかったはず…。さあ、これに乗って東京ではなく横浜へ。4時台に着いてしまうが、この時間に着かないと撮れないものが第1目標だったわけなのです…。
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明石ゆき普通車に乗った
http://tetsuradiq.exblog.jp/26575027/
2010-08-17T22:00:00+09:00
2017-01-22T13:11:58+09:00
2017-01-22T13:11:58+09:00
tetsuradiq
発車案内探訪
ド早朝の姫路駅。当時はまだ「はばタン列車」が残っていた頃か。はばタンがマスコットだった兵庫国体自体は2006年だから息の長いラッピングだった…というか、まだこのあと1年半ほど走っていたよう。気になる列車だし、撮ろうと思えばもっと撮れた気もするが、結局姫路駅で見たら軽くスナップ程度で終わった。 ド早朝の山陽姫路駅。でも真夏なので寒いとかは全然ないはず。ここも記事執筆時点ではすっかり様相が変わっているので、記録的に載せとこう。 どれくらいド早朝かというとこれくらい。高砂や大塩発だったS特急に山陽姫路始発が登場していた。まあ車両でそれを記録できないので発車案内を。このタイプの装置も記事執筆時点では消えている。で、この日何しにいったかと言うと、買って半年が経過したデジ一に動画撮影の機能があるので、それで山電の動画を撮ってみようというのが1つ、そして平日朝1本だけのレアもの、明石ゆき普通車に全区間乗ってみようと思い立ち、こんなド早朝から動いてみた次第。
で、動画撮影はS特急の送り込みで高砂ゆき普通車が撮れる尾上の松へ行ってみたのだが、結論から言うとなんかデジ一で動画というのはなんかもうひとつな感があり、結局使わないという結論に。撮る時もなんか大げさな感じがして…(笑)。一方、従来使っていたコンデジがここ最近映りが白っぽくなってどうにもガタが来ていたのでこれも思い切って先日買い替えており、今回はそれの本格的な鉄活動デビューでもある。 で、新開地へ。この時間だとまだ阪急の通勤特急があった。ここの通勤特急ってこんな表示だったのか・・・。朝食はご存知神戸電鉄との乗り換え通路にある「高速そば」。立地がいいだけに近くに来るとちょこちょこ食べてます。このレトロな駅名標もその後神戸高速鉄道の形態変更によって阪神タイプの駅名標に置き換わった。表示物に興味を持って鉄ヲタとなったわりに、なかなかこういうのは抑えていなかったが、記録としてはこういうのも大事だなと思い、この頃から残すようになっている。 明石ゆき普通車の始発である高速神戸。そこへやってきた3000Fは明石ゆき…ではなく、高速神戸止めで折り返しは新開地発の姫路ゆき普通車になるため1駅だけの回送。手動幕を回す手間の関係か、「回送」「姫路」表示で出て行った。昔の山電では普通だった回送でも行先を出す(厳密にはそれだと「回送」「新開地」にしないといけないが)スタイルの再来のようでちょっとテンションがあがる。側面は幕のコマ数の関係で生まれた「回送 試運転」表示。模型やってるわりに側面とかはほとんど撮らなかったのだが、近年その重要性を痛感…。デジカメになって手軽に撮れるようになったこともありますが。しかしこの側面も渋いなあ…。これが今日の明石ゆき。もちろん発車案内も抑えとかんといかんだろ。ただ、入線時の動画も撮ってみたのだが、自動放送と肉声の案内放送がまるかぶりになってしまい、あまりキレイな状況にならず(苦笑)。車両は3050系の3062Fで4両編成。4両ということは5000系が入る可能性は否定できないが、ネタ車が多いのは3両編成だからなあ…。3両運用だったらもっと通ったかもしれない。 後は延々と直通特急に抜かれたりしながら、ごそごそしつつのんびりと山陽明石まで。東須磨や山陽須磨で長時間止まったり、海沿いでは雲ひとつない絶景を見たり。で、まあパターン外の列車なので人が乗ってない乗ってない…。本当は東二見まで行きたいところ、都合により明石で客扱いを終えて後は回送という流れなんだろうが、本当に1両に数人みたいな区間が大半だった覚えがある。ということで無事に何事もなく山陽明石到着となりましたとさ。まあなんというか、電車をあまり撮らない形での鉄活動ってイベント参加以外ではあまりしないが、たまにはのんびりただ乗ってるだけってのもいいもんですな。で、これでもまだ昼前なので、わざわざその後鶴橋まで行って鶴橋の発車案内のあべこべ状態を確認しに行ってました(笑)。まあどうせそのあと模型屋めぐりもしたんだろ。
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PL花火臨 河内長野のホーム案内幕を見に行く
http://tetsuradiq.exblog.jp/26555689/
2010-08-01T22:00:00+09:00
2017-01-14T17:39:34+09:00
2017-01-14T17:39:34+09:00
tetsuradiq
発車案内探訪
毎年8月1日に大阪の富田林市で行われる「PL花火芸術」という大規模な花火大会。当日は観客輸送のために最寄りとなる近鉄長野線や南大阪線のダイヤが総替えに近いほど臨時電車が大増発されることで知られる。で、その中で気になったのが長野線の終点河内長野駅。ここには当時でも全国的にも希少になっていた字幕式の発車案内がある。河内長野駅は日中の電車が全部大阪阿部野橋ゆき準急なので普段見に行ける時間帯には表示がまったく動かないのだが、今回は臨時ダイヤになる関係上昼間に普通に変わるタイミングがあるのに気づいた。思い立ったが吉日、それを見に行くことを第一目標に行ってみることにした。
第一目標の出来事は午後に起こるので、のんびりお安く山陽電車で出発。…もちろん乗ったのは直通特急ですよ(笑)。で、そのまま近鉄に乗るのも面白くないので、南海の難波駅へ。南海線と高野線の区間急行が並んだ。 記事執筆時点では6200系に編入されているが、撮影当時はまだ8200系。高野線全線開業80周年のヘッドマークが付いていた。こちらは本家6200系と泉北3000系。切妻コルゲートバリバリのステンレス車は個人的に好き。おそらくこの急行に乗って河内長野まで行ったのかな。で、到着後すぐに近鉄側に。 これが近鉄河内長野駅の2番線にだけあるホームの字幕式発車案内。来るのは2回目のはずで、以前は「大阪阿部野橋」ではなく「あべの橋」だった。ということは忘れさられているわけではないのか。で、準急が出て次発は普通というタイミング。変わった。…準急と普通はとなりのコマで速攻変更完了。動画でも撮ったのだが、予感はしてたけど肩透かし感も少々(笑)。このあとはどこかで臨時電車を撮ろうかなと今度は近鉄で戻る。富田林駅はパタパタ発車案内だったが、機械によって英字ありなしが違う…。
高鷲で下車。あまり光線はよくないが降りちゃったので…。同業の人が1人いてその人と撮る形になった。余談だが撮影場所を覚えてなくても、背景の建物が1つあれば地図検索で場所がわかる時代なんだな…。
通常ダイヤでも走っているが、真昼間には走らない河内長野ゆき普通と当日大増発の富田林ゆき準急。この年だけ走ったという「さくらライナー」2本併結で運転された臨時特急の送り込み。
と、そんな感じで何本か撮って撤収。大阪阿部野橋駅に戻ると当時まだバリバリ稼動していたパタパタ発車案内は富田林ゆき準急が並ぶ。
一方、近鉄の新たな主流となっているLCD発車案内に取り替えられている部分も一部あり、そちらも全部富田林ゆき準急である。
最後は6020系の富田林ゆき準急をきっちり1枚。
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山陽電車の平日朝
http://tetsuradiq.exblog.jp/26555038/
2010-07-23T22:00:00+09:00
2017-01-14T13:53:12+09:00
2017-01-14T12:31:23+09:00
tetsuradiq
撮影記
撮り鉄業界には「早起きは三本の得」なんて格言がある、なんて昔聞いたことがあるが、実際朝しか走っていない列車は大好物。なので私鉄撮影の遠征ではド早朝スタートが定番だったこともあったが、地元でだって朝しか…という列車はいくつもある。ということで、こんな時間に新快速で神戸まで出て、歩いて数分の高速神戸へ向かい、神戸高速~山陽電車と乗ってまずは真横は瀬戸内海、絶景のロケーションで知られる滝の茶屋へ。ここ、景色関係なしでも下り(姫路方面)の編成がっちりもお手軽にいけるポジションである。ただまあ…お目当ての霞ヶ丘ゆき普通車を撮るにはモロ逆光ではある…。まあどこで撮ってもきれいには撮れないんだけど、ただ、朝ラッシュ限定も平日は数本ある行先だが、後続列車の関係で霞ヶ丘で客扱いを打ち切っていると推測されるいういつ消えてもおかしくはない設定ではあるので撮れるときには確実にという列車ではある。ただ、撮影時よりも記事執筆時には設定が増えてたが。 続いて山陽塩屋へ。山まで住宅がへばりついた神戸らしい背景のある駅。ここは上り(神戸方面)の編成が撮れ、しかもこっちは順光でいける。まあ後打ちなら下りもいけるけど…。霞ヶ丘ゆきは逃さず。ちなみに、やや上からのアングルにはなるがJRの内側(緩行)線をゆく電車もかっちり。記事執筆時点ではとうに姿を消した阪神8000系の赤胴車スタイル。ふつうに走ってた頃は当たり前すぎてという感だったが、なくなってわかる良さというものもまたしみじみ。最終目標は須磨ゆきS特急。これも次の改正で生き残る保証はない…と思ったら2016年の改正で消滅した。さらに、車庫のある東須磨へ。ちょうどラッシュ終わりでダイヤがデータイムのパターンに変わる頃合いなので、途中止めがあったり。阪神1000系はシャッタースピードさえ気をつければしっかり種別行先が映ってくれるので撮りがいはある。須磨浦公園ゆき特急なのでよしよし。一方、たまにやってくる回送車。昼間に毎時2本ある須磨止めの普通車が折り返しの関係で須磨~東須磨を回送で往復するもの。だいぶ前の標準だった「回送でも行先を表示」なら絵になるのだが、でもたまに行先出して走ってたりすることもあり、神戸高速線内だとたまにあるのだが、走りでそれを抑えたことはないな…。できた時にはこんな設定が…と目が釘付けだった明石ゆき普通車。結局平日午前中に1本だけポツンとあった地味だけに激レアな列車だったが、なんだかんだで撮ったのは2回か3回か…だったな。これで撮影は打ち止め。
で、その後はどうしたのかというと、板宿(たぶんその前に山陽そばで朝飯食べたな(笑))で神戸市営地下鉄に乗り換え。…ん?…1駅だけ乗って新長田でなぜか地下鉄海岸線に。…何やってんだろう。ふつうに三宮に行くのもなんだしって感じだろうか。起点の新長田駅にある鉄人28号のオブジェとのコラボでPRラッピング編成に。コラボは今もやってるけど記事執筆時にはもう外のラッピングはないようだけど。…で、三宮・花時計前に着いてどうしたのか…。確かに鉄道模型見に行く某スーパーキッズランドには近いんだが。行ったのかな。で、コンデジの画像を見ると、JRで新今宮に行き、南海に乗り換えてなんばへ。…これは模型屋めぐりしてるわ(笑)。ちなみに、この時は南海高野線の全線開通80周年記念の展示が行われており、運行標識のレプリカが展示されていた。
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山口遠征・下関駅の幕式発車案内
http://tetsuradiq.exblog.jp/25480765/
2010-07-03T23:40:00+09:00
2016-03-08T23:52:19+09:00
2016-03-08T23:52:19+09:00
tetsuradiq
発車案内探訪
宇部線の105系を横目に見つつ、出発。…で、もう到着。415系同士が並ぶ下関駅にやってきた。この当時は現在の駅舎になる前の仮駅状態がまだ続いていた頃。なので、左端の特急・急行用表示盤こそ幕自体が抜かれて生気を失っていたが、まだ幕式発車案内が現役だった。もちろん各ホームの装置もまだまだ健在。ということで、各ホームで列車と幕式発車案内を絡めて撮ってみた。 電光にはない味があっていいよなーと個人的には思う幕式の案内。普通列車しかないのは寂しいところだが、ホームの屋根の雰囲気もあいまって、ちょっとノスタルジックな感覚がある。2014年までこんな風景が残ってたんだよな…。来といてよかった。さて、下関へ来たのならこれは食べとかないと、というのを。…ただ、移動してここは新下関駅。ここでも下関駅と同じそば・うどんが食べられる。
前も食べた「ふく天うどん」を再び。ふく天自体は白身魚?という感じだけど、例によって出汁もよかった覚えが。
お腹を満たして全部完了。で、帰りは一気に新幹線。…まさか在来線で数時間えっちらほっちらという元気はもうないです。…でも新下関から乗ったのは当時まだあった100系のこだまのようだが…まさか乗り通してないよな(笑)。
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山口遠征・宇部駅鉄道部品即売会
http://tetsuradiq.exblog.jp/25480512/
2010-07-03T20:40:00+09:00
2016-03-08T22:35:48+09:00
2016-03-08T22:35:48+09:00
tetsuradiq
イベント
夜が明けてない(笑)。7月上旬でこんな空ということで、何時なのか想像していただければ。…元気だったんだな俺。こんな時間から即売会の順番待ちを数時間やっていたわけで。まあもちろん先客はボツボツいたわけだが、JRとはいえやはりローカルな即売会なので、部品経験値が高そうな人ばかりが集まっていた感じ。ときどきお話なんかもしつつただただ待っていた覚えがある。
で、駅前にはバスが時々やってくる。当時既にバスの方向幕には手を出しているが、車両そのものにはほとんど興味を示していなかった。…これを書いてる頃にはなんとなくこれが西日本車体工業の58MCとかいう車体というのはわかるようになってきたのだが…(合ってるかな?)。これは宇部市交通局の路線バス。
いっぽう、「せんてつ」と書かれたこの路線バス。「てつ」…ってことは○○鉄道の略っぽいが「せん」…?。このバスは「船木鉄道」という昔は鉄道を走らせていて、今はバス専業になっている会社だそう。昭和36年に廃止されているのでそりゃピンとこないわけだ。
で、数時間待ってるうちにセッティングが行われていく。即売と入札に分かれ、103系の解体部品は基本入札。サボが300~500円というのはまあまあいい感じだったが、方向幕単体はなく、入札に機械つきの側面幕が数台という感じだった。うーん、残念ながらあてがはずれてしまったな…。
まあこんな感じで一度に5人ずつ即売会場に入って品定めをするいつものパターン。ここまで来たんだからと1枚の値段がそう張らないこともあって2周くらいして10枚ほど買った。でも、もう近年はサボ自体見ることすら珍しくなってしまった時代だし、手元に残しといてよかったかなとは思って見たり。ただ、今は奥深くにしまいこんでる気がする(笑)。
入札品の一部。マスコンとかも出ておりなかなか目を引くものもあったが、欲しい所までは…。幕も機械つきは置き場がないし…。
戦利品その1表裏。415系とかに差してたものが多いのかな…というか、九州内のものが結構あり、向こうから仕入れて売ったのかなという気がしないでもなく。
戦利品その2。…まあ2周目とかになると裏面白とかがまず残るわけで…(笑)。ただ、広島地区の物があったりもして、それはそれでまあいいかなという感じであった。
結局入札はしてないので結果を見る必要はないということで、昼前には宇部を去ることにした。寝台特急も止まっていた宇部クラスなら幕式発車案内があったんじゃないかなと思うのだが、方面別の液晶モニターでの発車案内が稼動していた。そんな感じで残りはちょっとだけ西へ向かい発車案内探訪である。
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広島遠征・行程途中でもしっかり濃く
http://tetsuradiq.exblog.jp/25467026/
2010-07-02T22:00:00+09:00
2016-03-06T12:45:07+09:00
2016-03-06T12:45:07+09:00
tetsuradiq
撮影記
新幹線に乗って車窓に「MAZDA ZOOM-ZOOMスタジアム広島」が見えるとまもなくきょうの第1目的地へ到着。ということで、広島である。しかし野球を見に行ったわけではなく。本当の目的は翌日。さらに西、宇部駅の開業100周年を記念しての鉄道部品即売会が行われるということで、行ってみることにしたのである。広島方面は側面方向幕の中身がかなり熱い。前面行先表示は相変わらず使われないが、前も使ってたら行先目当てで足しげく撮りに行ってたかもしれないなとは何度も思っていたくらい、中身が濃い。103の部品があると告知されていただけで、出るかどうかはわからないが、JR西日本関連の行事としてはひさびさに行ってみたくなったのでその道すがら広島に降り立ったわけである。で、まずは広島駅名物?広島東洋カープにちなんだ「赤うどん」を食べる。うどんは色が付いただけだが、ここの出汁がなかなか旨いなと思った覚え。その後広島に行ったときにはなくなってたように記憶していたが、今はまたある様子。そして、ネットで調べたら今はホーム上ではなくコンコースに店も移転してるようで。
で、駅前の路面電車のりばへ。広島電鉄の路面電車撮影をしばし。いろいろ撮影ポイントもあるけれど、お手軽に広島駅の乗り場でも入ってくる電車をふつうに撮れてしまうので十分楽しい。…ラッシュでもないのに4連続で数珠繋ぎ、全部色が違うし楽しすぎる…。インパクトある3車体連接の元西鉄である3000形と元大阪市交の750形。750形は大阪市交の色を継承しているが、3000形は導入当時に宮島線直通車に施されていた塗色であり、西鉄時代の色ではない。その後、元神戸市交の生き残りであまり走らないように聞いていた570形が動いているのを察知し(選挙があるとそのキャンペーンで走るとは聞いていたが、まさに当時参院選の選挙が迫っていた)、急遽迎え撃って、交通量が少なくて撮っててもまず通行の邪魔にもならない小網町~天満町で確保成功。個人的にはファインプレー。その後ちょっとだけ「旧広島市民球場」の外観や周辺にあったモニュメントなどを眺めてみた。1回だけ広島-横浜戦だったか、試合も見たんだよなあ。西日がきつかった記憶が。ちなみに、市街地の広電の発車案内がものすごくハイテクになっててびっくり。前は暗号にも近いような行灯式だったのに。 一方、JRの発車案内。山陽地区にたくさんあった幕式発車案内はさすがにこの頃には風前の灯で、前行ったときにはあった駅もLEDに変わっていたのだが、向洋にはまだ残っていた。もちろん、JRも撮影。ふつうに113系湘南色も走り、瀬戸内色の103系も呉線の快速運用でまだ現役。ホントに前面幕さえ使ってくれてれば通ったかもしれん…。まあ105系は使ってたけど…。
で、新幹線に乗ってどうやら新山口までワープしたらしい。夕方で暗いが新山口駅在来線改札はずらっとLED発車案内が6台も並ぶ壮観な風景。さすが一大ジャンクション。もっと前はこれがパタパタ発車案内だったんだよね…。大学時代に旅行で当時の小郡を通っており、そのときに写真を撮っていたのだが、非常に中途半端な撮り方で何やってんだ当時の俺と…。
この時間を狙っていたのかもしれないが、山口線の快速「通勤ライナー」を。広島色2連に「快速」の種別表示が映える。 ちなみに発車案内の種別表示は「通勤快速」になっていた。
で、このあと宇部までふつうに山陽線で向かい到着。 すでにテントなど会場設営の準備はされており、準備万端といった感じであった。ローカルな即売イベントだけど、JRだしそれなりに猛者も来るだろうから、まあ参加者間で掟が自然とできてそれに従ってみたいな感じになるだろうなと漠然と感じつつ、早起きはした方がいいかとは心に留めておいた。
…記憶はあいまいだが、その後夕食後にもう一度駅前に行ったら既に待機者と名簿があったような気もするが…(笑)。
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2010阪急春の行楽臨
http://tetsuradiq.exblog.jp/25418246/
2010-05-01T22:00:00+09:00
2016-02-28T12:48:48+09:00
2016-02-28T12:48:48+09:00
tetsuradiq
撮影記
春と秋は阪急が嵐山への行楽臨時列車を頻繁に出す時期。ただ、かつての梅田~嵐山の臨時急行「嵯峨野エクスプレス」の運転がなくなって以降は、短期間で運転形態を変えて迷走ともいえる時期にあった。この時は、現在の愛称付き臨時特急群の原型ともいえる他線乗り入れの「直通特急」をはじめて認識したか、そこに撮りにいって初めて気づいたか…なんせそれを1日撮りに行っていた。
最初は直線ですっきり撮れたはずと南茨木で撮りはじめるも、たしか優等列車がやたら反対とカブって早々に切り上げ。 で、茨木市へ移動。快速急行が並ぶ。右は当時走っていたラッピング9300系「カーボン・ニュートラル・トレイン摂津市駅号」。お目当ては嵐山へ向かう臨時特急だがまだ時間がある。じゃあこれが戻ってくるまでとしばし。9300系トップナンバーの快速急行河原町ゆきが到着し、梅田ゆきの9304Fと並ぶ。行先表示が幕なのは9302Fまでなので、9304Fの行先表示は阪急こだわりの高精彩なフルカラーLED。しかし阪急のはシャッタースピードを相当落とさないときれいに映らないんだよな…。一方、3300系はそういう心配を一切する必要はない(笑)。しかしかつては凡庸な形式だった3300系も正調な阪急スタイルを維持している数少ない形式になったよなあ。 で、締めのラッピング。ラッピングはどこも派手になって当然だが、阪急は「マルーン」があまりにブランド化しているので、それにラッピングとなると余計浮いてるというかインパクト大と言うか。 つぎはここ、洛西口へ。できてそう間もないはずだったが、既に当時高架化工事の準備が始まっており、これを書いてるときにはもう高架化も終わっている。 こんな感じで午前中はやや光線は微妙だったもののホーム端からは絶好の撮れ方だったんだけどなあ・・・。上は当時の行楽臨の目玉だった「快速特急」。まだ名無しである。下はふつーの8300系準急だが、やっぱこの顔が一番いいなと。そして、6300系。特急定期運用から離脱したのち、「京とれいん」化されたり嵐山線ローカル改造されたりした中で6連化こそされたが原型を保ったままの6350Fで運転された快速特急。このまま動態保存的に予備車で置いとくのかと思いきや、このときと秋にこの運用に就いたっきり、結局数年間も休車のままなようで。まあ撮っててよかった…。 もうひとつの狙いはこの「直通特急」。しれっと阪急が阪神(・山陽)の後を追った…とちょっとびっくりしたこの種別だが、まあ他線からの直通の特急だからと考えればしっくりくる種別ではある。これに絵入り名称ヘッドマークが付くのはもう少し後の話。桂まで行くと、うーわ、行灯の発車案内なくなってる…。C号線もきっちりフルカラーLEDの発車案内に。で、8314Fの快速特急…なんか種別の字がちっちゃくて違和感があったのだが、この形がその後標準に。行先とバランスが取れてない…なんて思ったんだけどな。慣れの問題だろうか。 で、そのあといきなり宝塚線の三国まで一気にバック。…昼に十三の阪急そばでも食べに行ったついでだろうか(笑、今十三の阪急そばは「阪急そば 若菜」になって立ち食いじゃなくなってると知ってびっくり)。まあ帰りの行楽臨までの時間つぶしか。光線的に微妙といえば微妙なところなのだが、まあなんとかこれなら。 この頃はまだ宝塚線の車両は神戸線に比べるとちょっとクラシックっぽい感じがして、ああ、なんかいいなとちょっと思ってみたり。昔からそういう気はあったが、ますますおっさん化してるな。数枚撮って再び京都線。午後だとたしかこのアングルがいけたはずと珍しく狙いを絞って。
西向日。…反対側とかぶった(笑)。京都方は大きくカーブしており、ホーム先端でアウトカーブからの撮影ができる。このアングルは私大好きなので、車両に関わらず根こそぎ撮る感じに。当時はまだ準急運用にバリバリでついてた2300系。9300系のラストナンバー9310F。望遠で狙うと真正面から狙うと動きが少ないのでフルカラーLEDが映るシャッタースピードでも格好がつく。データを見ると確かに1/250でシャッターを切っている。まあここは多分速度制限もかかってるだろうからスピードは落ちてるんだろうけど。そして帰りの快速特急がやってき始める。まず7300系。そして…8312F…ピントミスって相当な補正を施しておりますorz。まあこの辺でと切り上げ。
再び桂に戻る。奥のホームでは乗務員同士がなごやかに。こういうのもホッとする光景かな。 この時期なので停車中の列車を撮る同業者もぼつぼつ。「桂-嵐山」ではなく「 桂 」単体の行先表示はさほど見る機会は少ないだけに、定番の臨時(矛盾するな(笑))とはいえ日常の記録も趣味としては大事だなとはよく思うこと。で、そうこうするうちに私も帰りの途に。せっかくなので神戸線直通の直通特急で戻ることにする。…あんまり乗ってなかったような覚えが。伝わらんでしょうが…。十三の連絡線に入って転線のひとこま。あんまり乗ってないから停車中もシーンとしてたのがなんか非日常と言うかなんというかそんな気分になった。で、ふと、塚口で降りてみようと思い立つ。まだパタパタ発車案内が残っており、たしか今津線経由宝塚ゆきの直通特急が追ってきてるので、その表示を抑えておくことに。もう阪急もフルカラーLEDの発車案内が大半になってきていた時期だし、いつなくなるかわからん。で、降りて、撮ってみたら……エラー表示orz。で、これが塚口のパタパタを撮った最後になってしまったとさ。
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効率良く近畿ほっつき歩き撮り
http://tetsuradiq.exblog.jp/25245827/
2010-04-10T22:30:00+09:00
2016-01-06T23:44:44+09:00
2016-01-06T23:41:55+09:00
tetsuradiq
撮影記
4月10日だと「青春18きっぷ」の消化がてらだろうか。あっちこっちほっつき歩いて1日撮影に興じていた。まずはEF65貨物色を尼崎で撮るところからスタート。 同じく尼崎で183系「北近畿」。幕はずれてるし、正直このイラストマークはあんまりというところもあったんだが、国鉄特急色を…ということで。 で、効率よく塚本へ回って、珍しく煤けた感じもなくきれいに整っていた「はまかぜ」を。もうこの時点でキハ181は残り半年ほどという状況でもあったが、ここではほかに1人か2人いた程度。まあ、4両編成だしあまりにも日常の風景ではあったので。 で、このあと関西本線…いや、大和路線に行く。志紀のホーム先端が撮れる感じだったのでしばし。 目当てはは当時「平安遷都1300年」の関係で新大阪~奈良間を梅田貨物船経由で運転していた臨時特急「まほろば」。381系国鉄特急色でいい感じに…架線の影がど真ん中にorz…。気を取り直してそのまま進んで…
奈良へ。奈良駅の高架化は完成したもののまだ移動した旧駅舎の周辺整備は途中という段階であった。何しにきたかというと、
なんだか桜井線(もう「万葉まほろば線」なら愛称で呼ばれていた頃だが)などで運用される105系のこの顔が撮りたくなってちょっと沿線に行ってみようかと目星も付けずに桜井線に乗って天理まで行ってみたのだが、
きれいには撮れたけどオリジナル顔しか撮れず…でありました。
ちなみに、すぐそばにはいわゆる「天理臨」用に用意された巨大な留置線群が。これは壮観だった。
で、この先の予定も用意していたのだが、何気に近鉄の天理駅の様子を見に行ったところ、
さ、3000系!!。近鉄唯一のステンレス車としておなじみの3000系が線内折り返しで運用されていた。3000系って撮ったことないような…これは逃せんと予定変更。天理線内で撮れないかとこの電車に乗って車窓を眺め、二階堂で下車。往来の少ない道路に邪魔にならないようへばりつく(苦笑)。
丸みを帯びた車両が多い近鉄にあって、この角ばった無骨なステンレス車体がなかなかかっこいい。きっちりと撮れてよかった…。どうも3000系はこの年に不具合を起こしてほとんど走行できない状態に陥ってしまったそうで2012年にひっそりと除籍されている。近鉄に関しては動向をよく把握してなかった私。「また今度」って思わなくてよかった…。
で、おそらく「18きっぷ」だったはずの私だが、近鉄さんありがとうということか、この後京都まで近鉄で行った様子…。で、JR湖西線へ。どこで撮ったか覚えてないが、線形からしてこれはおごと温泉か…。撮りやすいポイントとして有名なようで、
こんな状態になっていた。たしかにこっち側からだと完全に順光なのだが、この日はちょっと陰っており、反対側でも遜色なさそうと逆サイドから狙ってみた。
目当ては春にだけ京都まで運転されていた117系の臨時新快速。ヘッドマークこそ黒地の現行種別ロゴだが、往年の雰囲気を残したスタイルで運転され話題になっていたもの。若干サイドが暗いのは否めないが十分十分。
このほか、こういったごった煮編成がまだまだ見られてました…。
なんだかんだで兵庫、大阪、奈良、通っただけだけど京都、滋賀と巡って、しかも結構効率よくネタを抑えられるという我ながらいい撮影行程でありました。
(2016.1.6記)
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名古屋遠征・Goodbye Series7700
http://tetsuradiq.exblog.jp/25245568/
2010-03-21T21:50:00+09:00
2016-01-06T22:31:49+09:00
2016-01-06T22:14:44+09:00
tetsuradiq
撮影記
いつもの醤油ラーメンの上に、とんかつ。食べたことないとんかつラーメンを怖いもの見たさに食べてみた。うん、特にコラボはせず単独でとんかつはとんかつであった。
(注・2015年12月にひさびさに神宮前に立ち寄ってみたら、神宮庵はすでに閉店しており、別の飲食店に変わっていました。残念orz)
さよなら列車の始発、豊明を眺めてみる。案の定と言うかおびただしいさよなら列車の乗客と離れた位置から眺めるファンの一群がいた。もみくちゃになるのは明らかだし、ひとまず駅間で撮る。もうさんざんパノラマさよなら興行で撮ってきたから多少お気軽なところでも撮れるところはわかっているつもり。宇頭で降りて、名古屋方へ戻って歩くと車の通りが少ない農道に出るのでそこで狙う。練習で撮ってるのが逆方向の電車ばかりだったのだが。そのせいか向かってきた7700系2+2は見事にピント設定を誤り、慌ててケツから狙ったほうは幸いきれいでした…。本格的に鉄をし始めた頃、既に7700は全車白帯車だったので、やっぱりこっちの方がなじみがあるなあ。で、例によって(?)大学時代のサークルの先輩氏にまたばったり出会い、連れて行っていただいたのが名電赤坂駅で降りて名古屋方にしばし。有名なポイントで人もたくさんだが、こんな風景なので収容人数多数。で、さよなら列車が本宿で長時間停車していたので追い抜いていたものの、なんでこんな撮れ方に…。
落ち着いて、入念に練習。入念に練習…。で、
うん、ばっちり決まったかな…。(もちろん連射はしたが)我ながら最後はきっちり撮りきったと思える1枚になったと納得。
イラスト系統板には「7000番代最終章!! 48年間想い出ありがとう 1961.6.1-2010.3.21」の文字。まだ小学校に行くか行かないかの頃、名鉄沿線の親戚宅への訪問で名鉄に出会い、まずは暗号だらけのポケット時刻表や新名古屋駅のブラウン管モニターの発車案内に興味を示した後に(笑)、車両に目を向け、パノラマカーシリーズに魅せられたから私も想い出は持っているほうだろう。幸いというべきか、「なくなる」という話よりも前に開眼できたおかげで、全体の歴史の中では終盤とはいえ、それなりに名鉄らしい柔軟な運用で活躍していた以前の姿も数はそこそこ記録できていたのが救いではある。好きな車両がもういなくなるのは寂しいが、名鉄ファンは変わらないんだし、これからもまた足を運ぶんだろうなと思いつつ、この場を後にした。
ありがとう、パノラマカー。
(2016.1.6 記)
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東京遠征エピローグ・落雷
http://tetsuradiq.exblog.jp/25239788/
2010-03-21T09:00:00+09:00
2016-01-04T22:55:10+09:00
2016-01-04T22:49:56+09:00
tetsuradiq
撮影記
「本厚木で信号トラブル」の告知。ガーーーン。落雷があったらしい。で、下りは各停だけが海老名までしか行っていない。「海老名ゆき」…レアや、そうじゃなくて(笑)。海老名~伊勢原間運休で復旧の見通しは立っていないとのこと…これはアウト。特急券払戻しである。
うわー…発車案内真っ黒…。
で、ホントに海老名ゆきだよ…。海老名検車区があるが、定期の海老名ゆきはなかったはず。
合間には何も表示がない5000形がやってきたり。黒種別黒行先ってなんか生気を失っているようでなんか怖い…。
あー幕車も来たよ…。まあこの辺で終わりにしよう。何の変哲もないが品川に出て「のぞみ」で名古屋に出るしかない。わざわざ豊橋で降りてもしょうがないし…。ということで、やってきた各停にとりあえず乗る。
うーん。こういう表示はあるとは聞いてたが、見るとは思わなかった町田駅の「臨時各停」表示。で、ここで急行があるというので乗り換え。これが朝の小田急かと言うくらいガラガラの急行で新宿に出たのでした…。
(2016.1.4 記)
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東京遠征・ファイアーオレンジと旧101
http://tetsuradiq.exblog.jp/25239584/
2010-03-20T23:59:00+09:00
2016-01-04T23:59:56+09:00
2016-01-04T21:48:52+09:00
tetsuradiq
撮影記
ふたたび京成から。赤電・青電・ファイアーオレンジの3300形をとりあえず捕獲する…と宿泊地の沿線である千葉線でしばし張りこむも…新京成の復刻塗色はきれいに抑えたものの会えず。
で。結局やっぱり金町線に行くといた…。こちらにファイアーオレンジが閉じ込め運用されていたので高砂駅を出て少しの踏み切りの歩道で。この色は個人的に見てみたかった。京成的には経営がファイアーオレンジしてた時代の産物という話だから忘れたい時代なのかも知れないが、個人的には最初に京成電車の色として認識してたのがこれなので最後に見れて良かった。そういやこの踏み切りで撮ってた同好のおじさんと話してたら、偶然現住地の隣町出身で話がはずんでしまった覚えが。世間は狭い。
場所を変えて柴又~金町の道端から顔ドアップ。横は金町浄水場のあたり。以前の「開運号」でやったときの赤電復刻はこの辺で撮ったので改めてここでもという感じに。結局青電は撮れなかったがまあいいかと次の目的地へ。どうやって行ったのかは覚えてないが、すんなりだと金町から常磐線~山手線~中央線だろうか…
武蔵境へ。西武旧101系最後の運行路線となってしばらく経っていた西武多摩川線へ。多摩川線に来たのは実に10数年ぶり(当時なんで多摩川線に行ったのかはよくわからない…)。そのときはJRに横付けされて直接乗り替えできたと思うが、高架化で当然別駅舎に。へえ、こりゃまたきれいな駅になって…。旧101系のスタイルは好きだったのだが、種別板の付いてない旧101はちょっと…という感じで残りが支線区のみ、そして多摩川線のみとなっても敬遠していたのだが、さすがにもう最後となると最後に一度…という感じで行った次第。あんまり撮影地も知らなかったので是政まで行ってから戻り、
行き違いをやってるからおそらく新小金井…かなあ。 住宅が建て込んでいるところの踏切から強引に正面がちに撮るのが精一杯。カーブの写真もあったがそれはなかなかの逆光ぶりでした。 でも、結局のところ一番編成をキレイに撮れるのは武蔵境のホーム先端だったりするわけで(笑)。
で、どうやって行ったのかはまた覚えてないのだが(苦笑)、また京成に戻ってもう一度撮影。「東京時刻表」掲載の列番でまだ4両編成の普通があるのがわかっていたので、ダメもとで行ったんだろう。その間AE100スカイライナーを撮り、
この頃は案内はもう「快速特急」になっていたが、幕は旧の「快特」を撮りとひたすら待っていたが…
ここまで待っても来ないものは来ない…。あきらめました。しかし、この暗さでもいちおう見える形に持っていくデジタル一眼ってすごいな…と感嘆。ちなみに、奥に光る病院の看板でここが京成関屋だということが判明。
で、高砂に出るとホームには再びファイアーオレンジ(!)。入庫までのひととき、もう数枚撮らせてもらえました。で、ここから思いっきりワープ。この間どこを通って何をしてたかはさっぱり覚えちゃいないが、新宿を通過してるだろうからどうせ「C&C」でカレーは食ってるだろう。ひょっとすると「箱根そば」も食べてるかもしれない…。ということで着いたのが、
一気に飛んで小田急相模大野!。脈絡もなく小田急…も、これは夜に運転されている1本の列車を撮りたいという理由だけで小田急沿線でビジネスホテルを探したら運よくここにあったという経緯。
夜も遅い中…わざわざ一旦ホテルに入って入場券を買って身軽になってわざわざ見に行ったのが次々発の急行大和ゆき。たしか1日1本とかそんなレベルだったはず。当時相鉄なら朝ラッシュに何本かあったような気はするが…。
幸運にも?この列車は当時淘汰が進んでいた5000形の運用でした。わざわざここまで来てよかった…。
ちなみに、とてもおしゃれな相模大野駅の外観にも驚いたのでした。ちょっとした街やん…。
(2016.1.4 記)
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