東京遠征・鉄分3割野球7割 |
さて、今朝は東急からスタートする。東横線から8000系もいなくなり、8090系や8590系もいなくなったので撮りたいと思うのは9000系か1000系くらいになってしまった。で、今回狙うのは武蔵小杉ゆきである。一時は目黒線電車の終点であったが、目黒線の終点は日吉へ伸び、逆に東横線で元住吉の高架化の関係で従来入庫を兼ねてか多数設定されていた元住吉ゆきの大半が線路配線の関係で武蔵小杉ゆきに変更されたことで、元住吉止め時代から引き続きとなる午前中に若干数設定がある急行の武蔵小杉ゆきを狙ってみよう。幕車の9000系なら最高ということでトライしてみることにした。撮影場所はいろいろあるが、行先重視だし正面がちに編成を狙える学芸大学ホーム先端へいくことにした。各駅停車の5050系に乗る。渋谷ゆきは中央線を凌ぐ混雑振りだが、下りは立ち客はそこそこいるが快適なもんである。
さて、急行武蔵小杉ゆきは朝は2本だけの存在。1本目は見事に5050系。1本目に来ればもう次に移る予定だったのだが、1時間後の2本目までひたすら待機。9時を過ぎても渋谷ゆきは足の踏み場もないような混雑が続いているが、それを横目にボヤーッとホーム先端にたたずむ。みなさんすいません(笑)。バチが当たってまた5050…という懸念もあったが、
実はこの日はたまたま「東京ドーム内見学」の日に当たっており、それを偶然ネットで見つけてこれはいかねば!となったものである。もともとは「東京ドーム見学ツアー」としてドーム内のいろんな施設が見れたのだが、さすがに開場から20年経つと飽きられたのかどうかわからないが、今年からグラウンドとスタンド、ダッグアウトの各一部に入れる見学会に変わった。時間は2時間もなく、しかも実施日は月に1回か2回ほど。その上平日が多いので行くチャンスもない。しかもホントに見学対象のところに居るだけ(たしか土とかのサンプルは置いてたように思うが)というあっさりしたものなのだが(これで料金500円は高いか安いか(笑))、
30分ほどドーム内にいたあとは、続いてドームに併設された「野球体育博物館」へ。野球殿堂やプロ野球を中心に、野球に関する資料を展示した野球史の総本山である。現行のプロ12球団のユニフォームや球史に残る名選手の使用品、記録の記念品など思わず見入るような展示品ばかり。時間がいくらあっても足りない感じである。ただ、あんまり長居するとこのあとにも響く。なので、最大の目的を済ませることにした。それが、「図書室」での蔵書閲覧である。野球関連の書物が5万冊収められており、なかなか見られない球団発行の「○年史」や古い各球団の「イヤーブック」も相当数ある。正直何日もかけて見たいくらいだが、とりあえず目ぼしいのをざっと目を通すことにした。…ただ、開架図書はごく一部なので、司書の方に言って出してもらわなければならない。21世紀に入って何年も経つ今、「クラウンライターライオンズの○年と日拓ホームフライヤーズの…」と言うのは結構恥ずかしいぞ(笑)。まわりは自由研究も兼ねて来ている親子連れが何組もいるなか、70年代や80年代の昔のイヤーブックを眺めているおじさんはかなり怪しいはずだ(爆)。ということで恥ずかしいので…もとい時間がないので、見たいものはまだまだあるのだが時間の都合で(それでも2時間くらいはいただろうか…)ドームを後にした。
一旦新宿に戻る。もう2時前にくらいになっているがお昼がまだ。新宿…C&Cってさすがに3度目はいかんだろとそれはやめたのだが、じゃあ代わりは?といっても地下街をぶらつくが目ぼしいのもない。ロッテリアとかはあるがそういう気分でもなく、結局適当にラーメン屋に入って済ませた。なんかふつーすぎだが。
さて、今日のメインはこれから。西武ドームでの野球観戦、「ライオンズ・クラシック」イベント開催の埼玉西武-福岡ソフトバンク戦である。ふつうは池袋へ出て西武に乗っていくのが常識も常識であるが、敢えてそれはせず、埼京線で武蔵浦和まで行き、武蔵野線に乗り換えて新秋津、そして徒歩連絡で西武池袋線の秋津から西武球場前、というルートにした。なぜこんなことをしたのかは覚えていない(;--)(だってこれ書いてるの11月だし…)。
ま、とにかくそんなに混んでない埼京線で武蔵浦和に行き、微妙に長い連絡通路を通って武蔵野線に乗る。が、一旦北朝霞で下りる。今日のお宿は東武東上線の朝霞。で、この北朝霞は東上線の朝霞台駅と連絡しているので、大荷物を一旦この駅のロッカー(運良く改札内にあった…)に入れておいた。…しかしコインロッカー使うのが当たり前になってきた今日この頃である。身軽になってふたたび電車に乗る。外はなんだかもう後一押しで雨が降るような状況。ただでさえ狭山の丘陵地にある西武ドームは雨が降りやすい。ライオンズ球場時代ならまあ間違いなく雨で中止になりそうな天気であった。
で、新秋津で降りて、西武の秋津駅まで歩く。ま、はっきり言ってあんまり案内看板もなく、地元民以外はわかりにくい道順なのだが、地元民でもないのに十数回はここを通っているし、常に秋津~新秋津は乗り換え客の流れがあるので、その波に流れれば迷うこともない。難なく西武の秋津駅に到着。あとは西所沢まで行って狭山線に乗り換えるだけ。4時過ぎに目的地・西武球場前に到着した。やはり外は雨である…。
さて、「ライオンズ・クラシック」は選手が「黄金時代」と言われた西鉄ライオンズの花文字ロゴのユニフォームを着用するのを中心に記念グッズの販売、当時の西鉄ライオンズの様子を伝える西日本スポーツの復刻紙面の配布(これと同じ企画は千葉でも行われていた)、九州関連商品の物販など比較的いろいろある。そしてこれとは別に注目していたのがコラムニストの綱島理友氏による講演「ライオンズ史研究室」である。週刊ベースボールの連載「ユニフォーム物語」などこれまであまり顧みられなかったのプロ野球のユニフォーム史の研究でも有名である(連載をまとめた図鑑「プロ野球ユニフォーム物語」、持ってます)。西武となる前のライオンズについて研究していくという趣向である。この日は最終回「伝説となった平和台」というテーマ。面白そうだと思い、会場であるドーム横の「中国料理 獅子」の建物へ向かう。西武ドームはたしか3回目か4回目だったと思うが、球団事務所などがある球場の横っちょの方にははじめて行った。
さて、外へ出ると雨は少し強くなっていた。ま、屋外球場ならまず中止であるが、こういうときはドームがありがたい。さて、今回は「復刻グッズつき観戦チケット」を事前購入していたのでグッズの引き換えを受ける。復刻グッズはレプリカユニフォームである。ただ、レプリカとはいうもののの素晴らしい出来。ゴールデンウィークに神宮で手に入れたヤクルトアトムズのメッシュのとはかなり違う。これは入手する価値があった。…まあ高い部類に属する西武ドームの入場料(内野指定席)に単品で買うと実はそこそこ高額なレプユニのセットということで正規料金からは2割ほど割り引かれているとはいえ、まあ旅行でないとなかなか出せない額であったが。
そんなこんなで球場内へ。すり鉢状の球場のてっぺんにあるコンコースから降りていく構造なので結構歩く。ご存知の通りライオンズ球場に屋根を付けた構造のドームであり、屋根の向こうには木が茂っているのだが、こういう雨天だとコンコースにも雨が若干吹き込んでくるのが難点である。さて、西武石井一久、ソフトバンク・ホールトンで始まった試合は4回にライオンズが一挙6安打、打者一巡で5点を取りホールトンはKO。その後も5回1点、6回3点、7回にも3点…6回は後藤の2ランも出たがとにかくヒットがつながるつながる…で12-0。試合は完全に決してしまった。石井は7回で余裕の降板。なにせソフトバンクはいつのまにこんな小粒になったのかというような状態でこれはとても勝てそうになかった。そんな状態なので試合開始時にかつ丼を食べたのに途中でまたソースかつ丼を買いに行くくらい余裕になってしまった(なぜこう旅行になるといつもの何割増で食べてしまうんだろう…)。いつ作るかもわからない親サイト用の写真なども撮りながら球場でのひとときを楽しんだ。結局9回にソフトバンクが松田の2ランなどで3点を返したが焼け石に水。12-3でライオンズが勝利、優勝マジックが28となったのであった。
さて、ヒーローインタビューも終わり、ふつうならこれで帰るのだが、この日は試合終了後に「西武ドームナイトシアター」と称して、ライオンズだけでなく球史に永遠に残る大投手、稲尾和久氏の生涯を追ったRKB毎日放送製作の「神様 仏様 稲尾様 稲尾和久メモリアル」が上映されることになっていた。実はもともと1週前に上映される予定が試合時間が延びたため中止になり、この日に振り返られたのである。で、この試合も変に長引いてしまってあやうく中止になるところだったのだが、タイムリミットぎりぎりで試合が終わり上映されることになった。まあ、たぶん、日本シリーズ3連投とか西鉄時代の輝かしい戦跡の映像なんだろうなと思ったのだが、
秋津で下車し、再び新秋津まで今度は早足。しかし無常にも武蔵野線の電車は出た後で10分ほど待つことに。…23時につけるんかいな??北朝霞で降りてコインロッカーから荷物を出し、東武朝霞台駅へ早足。たった一駅だが…微妙に待ち時間がある。早く来い!とひとりで焦っているうちに電車到着。3分乗って朝霞下車。ここで時刻は23時であった。ホテルは駅のすぐそば。別に遅いとも言われることはなく(そりゃそうだ)、ホテルにチェックイン。…東上線沿線にしたのは、あわよくば明日朝の上り通勤急行でも撮ろうかななどと考えていたのだが、こんな時間のチェックインではとても朝は起きられない。ということでスパッと最終日である明日の鉄活動は諦めて、ゆっくりすることにしたのであった。