さよなら「あかつき」号 |
今日で旧ダイヤが終了する。そしてまた、さまざまな列車が役目を終える。退潮著しい夜行列車は東京~大阪の寝台急行「銀河」、大阪~青森の寝台特急「日本海」の1往復、上野~札幌の寝台特急「北斗星」の1往復、そして京都~長崎・熊本の寝台特急「なは」「あかつき」が姿を消す。この中で個人的に最も思い入れが強かったのが「あかつき」号であった。
長崎や九州には縁はない。この列車に強い印象を持ったきっかけはなんのことはない、テレビドラマであった。テレビ朝日の「土曜ワイド劇場」の西村京太郎トラベルミステリー「寝台特急あかつき殺人事件」、それも土曜の昼に朝日放送でやっていた再放送をたまたま見て脳裏に強く刻み込まれたのである。この頃はまだ国鉄時代で「あかつき」が2往復走っており、「あかつき3・2号」は佐世保編成が筑豊本線を経由していた頃である。この筑豊本線経由がミソであり、長崎ゆきが博多経由で先行し、折尾~原田で飯塚を回ってから遅れて佐世保ゆきが来るため、『原田~肥前山口には「あかつき3号」が2度通る』というネタを使ったトラベルミステリーであった。この頃は機関車にヘッドマークもついてない頃であったが妙な列車があるんだと幼心に思い、以来「あかつき」が気になる存在になったのである。当時は小学生、まだ鉄活動にはほど遠かった頃である。余談だが、この作品たまにCSの「テレ朝チャンネル」で再放送があり、先日やってるのを見てさっそく保存してしまったが(笑)。
「あかつき」はいわゆる関西ブルトレといわれるかつては新大阪、今は京都発着の列車であり、撮ろうと思えば撮れる、そんな列車であった。しかし、撮ろうと思わないと撮れない。なぜなら居住地付近到着時刻は午前6時頃。無理をすれば撮れるが、少し日の出が遅くなればもう撮れない。夏場前後限定、その気になることは…なかなかなかった。「あかつき」単独時代は腕の悪さも手伝って、まともな写真がほとんどなく、「なは・あかつき」にいたっては運転期間が2年半だけとはいえ写真はたったの1枚しか確認できなかった。個人的にタイムリミットは九州新幹線の全線開業時だと思っていたので、高をくくっていた面もあるのだがそれはもろくも崩れてしまい、廃止発表の報道が出たときははもう撮影できない時期、慌てても後の祭りであった。
「あかつき」の乗車は2回ある。1度は大学時代に「レガートシート」に乗車、もう1度は一昨年の福岡広島遠征でB個室「ソロ」に乗車した。大学時代は寝台に乗る金もなく、高速バス対抗で連結した「レガートシート」は、あの頃まだあまり夜行列車に慣れてなかったこともあってほとんど眠れなかった記憶がある。なんか近くで中国人のグループがしゃべっててうるさかった記憶がある。おととしの「ソロ」はさすがに寝る分にはひとりの空間というのは快適で大満足であった。しかし、それももう「あかつき」としては味わうことはできない。
もうなくなってしまうことは決まったのだからどうしようもないのだが、今はNゲージを再開している身でもあるし、いっそのこと模型で「あかつき」の編成を再現してみるのもいいかもしれない。まあ、「あかつき」をフルで再現しようと思うと10両を超えてしまうので苦しいが、たとえばDD51と14系15形を6両揃えて(トミックスが14系15形の再生産を近日行う旨発表があった)、それこそかつての「筑豊本線経由のあかつき3号」にしてみるのもいい。…そんなことを最近は考えたりしている。
もちろんなくなることは寂しいが、高いか安いかといえば高い、車両は古い、どっちかといえば遅い、一般的なインパクトには欠ける…積極的に残そうとせず、手もかけず、中には廃車寸前のような哀れな姿で走らせていた(「なは」はひどかった…)とJRに恨みつらみをぶちまけるファンもいるが、ある程度固定化しをてしまった制度の上を走り、何か始めようとしたら莫大な金がかかる鉄道の世界において、ブルートレインはもうファン以外には価値を見出せない存在になってしまったのだろう。最後だけお祭りのように騒がれて姿を消すというのもいいのか悪いのかわからないが、そうしないと乗ってくれないというのは、やはり悲しい話だし、やっぱりもうそういう存在なんだというのを認識せざるを得ない。
せちがない世の中と言われるが、うっすら聞こえるジョイント音と時折起きる揺れを子守唄に長い時間を列車に揺られて眠る。こんなゆったりした贅沢な時間の過ごし方がまた見直され、再び青と白を基調とした「あかつき」のマークを付けた列車が線路の上に帰ってくる…こんな妄想が滑稽でなくなる日がまた来れば、うれしいのだが。