2010年 02月 28日
7700×6 Final |
名鉄パノラマカー一族のしんがりを務める7700系。2月26日に三河線での定期運用を終え、いよいよ終焉が目の前になった。この日は、残った3編成が3重連…というか電車なので「ブツ6」とでも言おうか、「最後の6両組成運転」というテーマでイベント運転されることになった。今回は知多方面への最後の乗り入れとなり、大同町→内海→金山というルートで行われた。
さて、大同町発は10時46分発と今回もゆっくりなので、新幹線で当日乗り込みし、9時ごろには名古屋に到着。そして、常滑線へ。 急行から普通へ乗り換えるべく降りた大江では5000系が並ぶ。奥は昼寝中の築港線運用車。LEDでも相変わらず行き先が登録されておらず、系統板を吊っている。
聚楽園(しゅうらくえん)で下車し、神宮前方面へ歩いて戻る。車内からでも見えるのだが、道すがらには巨大な大仏を横目に見る。昭和初期に名古屋の実業家が建てた「聚楽園大仏」というもので、色からして銅像に見えるが、鉄筋コンクリート製である。で、それを過ぎたあたりで撮影ポイントとなる。割と有名なところなのか2ケタ規模で同業者が来ていた。
→→→撮影ポイント
地図で見るとさほどでもないのだが、現地はこんな感じのカーブである。すぐそばに高架橋があるのだが、6両なら影になることもない。ただ、ここのベストな撮り方はもっと違う撮り方なのだろうが、既にこういう撮り方でしかできなかった。ここで1時間あまり待機。実はこの日は大きな出来事のあった日で、ふと携帯でwebを確認したらワンセグ放送でも大騒ぎになっていたのだが、みんな特に気にもしていないようであった。まあ、私も遠い出来事にしか思わなかった。しかし、今(作成2012年1月)の感覚なら、その出来事に対してはもう少し違った感じになっていたかもしれない。(何が起きた日かは調べてみてください)
聚楽園は大同町から3つ目なので、イベント列車の発車時刻からそう時間もおかずやってきた。
前から
慌てて後ろから
系統板は1月同様座席特急風の黄色板と、全車指定席特急風の緑板で「今までありがとう! 内海」であった。まあ知多半島ではこれが最後の走行になるので、こういうお礼マークということか。
さて、このあと7700系はかなりノロノロと定期列車を退避しまくりながら内海へ進んでいく。ただ、さすがにもう一度内海までに…とはいかず。帰りを狙おうとさらに南へ下る。太田川から河和線へ。巽ヶ丘あたりから駅間も長く、さらに沿線も田園風景になってくるのだが、撮れそうなところとなると駅から遠いところばかりで、なかなかどこで降りるかというふんぎりがつかない。結局一旦知多半田まで行ってしまったのだが、途中でここいいかも…というポイントを発見。昼を食べるところがないので、駅前のスーパーでパンだけとりあえず買い込み、再び戻る。普通電車で植大(うえだい)まで行く。線路沿いに半田側へ歩いて戻る。
→→→撮影ポイント
植大駅の所在する阿久比町と、半田市を隔てる川の堤防が自動車進入禁止の道路になっており、その踏切横である。植大から歩いて10分かかるかどうかというポジションだが、きれいに編成写真を収められるいいポイントである。ただ、河和・内海方面ゆきが順光なので、後ろ側から撮らざるを得ない。しかし、それを割り引いてもいいポジションである。
名古屋方面だとタイミングさえうまくいけばやや正面がちながらこれまたいい感じ。後ろから、というのは皆嫌うのか、1人だけで誰も来なかった。ただ、このあたりは風が強く、涙が出るような冷たい強風に小一時間耐えなければならないのは少々ツラかったが…。まあ、それに耐えたからこそ、 まあまあ満足できる記録ができた。系統板も変えられ、2両を3つ繋げたことを示すかのような「2」を3つ並べたデザインであった。
慌てて植大に戻り(土日の昼間は普通電車の本数が少なく、遅れたら計画が丸つぶれになるのだ)、神宮前まで戻る。7700系は相変わらずゆっくり走っており、途中で追い越した。7700系はこのあと金山から一旦回送で大江へ行き、また金山まで行ってから豊明へ戻ることになっている。時間の関係もあるので、はじめの大江までの回送だけ、神宮前で撮ることにした。しかし、ホームで撮ってたら人ごみ必至でとても居られない。そこで、駅の外へ出る。
金山方には名鉄とJRの線路をまたぐ跨線橋が設けられており、俯瞰のような形での撮影が可能だ。あまり広い橋でもないのだが、きょうは同業者やら、人が多いから何事かという感じで一般風の人も大勢見に来ていた。どうせ車両中心にしても6両は入りそうにはない感じだったので、思い切って引いてみる。背景には7700系をはじめとする名鉄車両の生みの親、日本車輌の本社がそびえ立つ。
生みの親に見守られながら、7700系は神宮前にやってきた。このあともう一往復はするが、きょうが終わると後は最後のさよなら運転のみ。こちらは豊明以東での運転となるため、最後の名古屋である。
白帯7711Fが務める最後尾を撮って見る。反対の1・2番ホームには埋め尽くすかのような同業者。あっちではたぶん撮ってられなかっただろうな…。橋の上から、7700が去っていくのを眺めた後、再び神宮前の駅に戻ったのであった。
さあ、いよいよ残すは最終運転のみ。パノラマカー一族最後の姿は、もちろん撮りにいくぞ。
さて、大同町発は10時46分発と今回もゆっくりなので、新幹線で当日乗り込みし、9時ごろには名古屋に到着。そして、常滑線へ。
聚楽園(しゅうらくえん)で下車し、神宮前方面へ歩いて戻る。車内からでも見えるのだが、道すがらには巨大な大仏を横目に見る。昭和初期に名古屋の実業家が建てた「聚楽園大仏」というもので、色からして銅像に見えるが、鉄筋コンクリート製である。で、それを過ぎたあたりで撮影ポイントとなる。割と有名なところなのか2ケタ規模で同業者が来ていた。
→→→撮影ポイント
聚楽園は大同町から3つ目なので、イベント列車の発車時刻からそう時間もおかずやってきた。
系統板は1月同様座席特急風の黄色板と、全車指定席特急風の緑板で「今までありがとう! 内海」であった。まあ知多半島ではこれが最後の走行になるので、こういうお礼マークということか。
さて、このあと7700系はかなりノロノロと定期列車を退避しまくりながら内海へ進んでいく。ただ、さすがにもう一度内海までに…とはいかず。帰りを狙おうとさらに南へ下る。太田川から河和線へ。巽ヶ丘あたりから駅間も長く、さらに沿線も田園風景になってくるのだが、撮れそうなところとなると駅から遠いところばかりで、なかなかどこで降りるかというふんぎりがつかない。結局一旦知多半田まで行ってしまったのだが、途中でここいいかも…というポイントを発見。昼を食べるところがないので、駅前のスーパーでパンだけとりあえず買い込み、再び戻る。普通電車で植大(うえだい)まで行く。線路沿いに半田側へ歩いて戻る。
→→→撮影ポイント
慌てて植大に戻り(土日の昼間は普通電車の本数が少なく、遅れたら計画が丸つぶれになるのだ)、神宮前まで戻る。7700系は相変わらずゆっくり走っており、途中で追い越した。7700系はこのあと金山から一旦回送で大江へ行き、また金山まで行ってから豊明へ戻ることになっている。時間の関係もあるので、はじめの大江までの回送だけ、神宮前で撮ることにした。しかし、ホームで撮ってたら人ごみ必至でとても居られない。そこで、駅の外へ出る。
さあ、いよいよ残すは最終運転のみ。パノラマカー一族最後の姿は、もちろん撮りにいくぞ。
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by tetsuradiq
| 2010-02-28 23:00
| 撮影記