パタパタ取材記 |
1回
…いかん。12月19日に京阪神へ行ったきりになっている。いろいろあって予想が狂った。元すらとれていない。複数人利用する機会がない(涙)ので残り日数的にもう5回フル活用は絶望的だが、とにかく使おう。そして思いついたのが「パタパタ取材」。…またかい。「パタパタの虜」にも書いてあるが、反転式発車案内の残存数がかなり減ってきており、新規につくケースも聞いたことがないため、いま「ある」やつもいつLEDに置き換えられてもまったくおかしくない。なくなってからでは遅い。ということで、手持ちやWebから「ある」という情報がいくつかあった日本海側へ行ってみることにした。
朝7時35分、姫路着。ここから播但線で北上する。とその前に腹ごしらえをしておく。姫路駅の名物、「まねき食品」の駅そばである。濃く煮詰めた和風だしと「日持ちさせるため」という単純な発想で作った中華そばの組み合わせがうまくかみ合って大ロングセラーの人気商品となっている。普段は300円の天ぷら駅そばだが、ちょっと奮発して400円の上天駅そばにしてみた。いつもの小さい海老が入ったかき揚げではなく、「衣たっぷり」の海老天とイカ天が乗って、普段より刻みネギがどっさり(これはおばちゃんの気まぐれか…)。うん。でも、これはなかなか。100円アップの価値はあるなと思った。
播但線でまずは福崎へ。福崎には改札口にパタパタがあったはず。「はず」というのは確認したのがもう何年も前、福崎駅近くで何度か鉄道部品即売のイベントがあり、そのとき目にして以来。でも、その時点ではもう電化されてたし、まさか変わってないだろう…と思っていたのだが。
乗った103系3500番台は福崎止めなので終点で下車。するといきなりホームにLEDが。「ウソ!?」…でもよくみると形が古い。ひょっとして前からあったかな?うん。そうかも。改札とホームで機械が違うってよくあるし…と都合よく解釈したが、やはり改札もホームと同じものが設置されていた。せっかく来たのに空振りだ…。JRが管財用につけてあるプレートを見ると昭和62年設置とある。前ここに来てパタパタを見たのは平成10年前後だから…、他駅のお古でも持ってきたのか。あの時なんで撮らなかったのか…と悔やんでもしかたない。今後それを防ぐための今回の行程である。20分ほど待って後続の寺前ゆきに乗車。和田山ゆきに連絡するのは1本後なので乗客はまばら。1駅すぎたら雪がちらつき始めていた。
寺前9時05分着。降りたことはないが以前から播但線の要所、あっても不思議ではない。しかし到着ホームの反対側には真新しいLED…。ここもかよ…。記録はするけど。駅周辺はいかにも山間部のたたずまい。雪のちらつく中、元々片運転台だったキハ47(画像右)を両運転台に改造し、妙な顔がついたキハ41の単行(画像左)で和田山へ。やはりカニ客が多いのか、姫路からの列車からの乗り換え客が多く、立ち客も出る中の発車となった。といっても、1両で済む程度だが…。北へ進むにつれどんどん雪景色となっていくが、暖房が心地よくあっという間にうたた寝、目が覚めると和田山手前であった。
和田山に以前行ったときは2つのホームの1つだけにいかにも国鉄然としたパタパタがあった。もう一方は緑色しかでない古いLEDだった気がする。ただ、Web上で最近の和田山駅のホームの画像を見たのだが、LEDが新しくなっていた。まさか…いや…。10時12分和田山着。到着はパタパタのあった1番のりばだ。降りた。見た…。
ありゃ…。やっぱなくなってる。2年ほど前に両ホームとも取り替えられたようだ。まさかこれから先も全部…。いやな予感がした。今回、日本海沿いをどんどん西進していくが、LEDばっかり撮っていては面白くないぞ。雪の降り積もった白一色の風景を見ながらも気が重くなってきた。
さて、10時38分発の城崎ゆきで2つ先の八鹿へ行く。やってきたのは個性的な顔立ちでファンの度肝を抜いた113系3800番台2両。普通電車はこのあたりは1時間毎でカニ客も多いしやはり混んでいる。八鹿はWeb上で改札にありと情報を見つけたが、果たしてどうだろうか…。はじめはここで次の列車を待つつもりだったが、時刻表とにらめっこした結果、ここで行き違いがあるらしく6分ほど停車する模様、なら確認してすぐ戻るつもりだったが、実際は臨時でカニ関連の臨時列車の行き違いも加わっており停車時間はなんと11分。余裕で改札を出ると…。
つぎは1駅先の(といっても営業キロで8.5キロもあるが)江原である。ここは情報一切なし。ただ、ここは八鹿同様に「出雲」以外の定期特急が全部止まるので、八鹿にあるならここにもあるんじゃねえの?という単純な発想である。ただ、八鹿と違って駅舎が橋上タイプに建て替えられているという情報がWeb上にあったのがちょっとひっかかるが…。
江原に到着。階段を上がって改札へ。登りきって横を向くとデカい銀の箱。ということは…
ここからは特急で城崎まで行く。運賃・料金は別にいるがオレンジカードがあるので現金は減らない。やってきた特急「北近畿」は座席がけっこう埋まっていた。車両は元が電化の際にかき集められた交直流特急型を直流専用車化した183系800番台だが、国鉄車は元が頑丈なのでいまだ現役。最近の特急形に比べると質素なつくりだが、でも「特急型」らしい電車である。豊岡、城崎と大きな駅を通るがこの2駅はLED化されているのがわかっていたので素通り。城崎ですぐ接続の浜坂ゆき普通に乗り換え、香住へ向かう。余談だが、城崎駅は3月から「城崎温泉」駅に改称する。いまさら改称しなくても城崎の温泉は知名度が高いと思うのだが、城崎町は市町合併で豊岡市に変わるため、城崎をもっと強くアピールしたいということらしい。これにより、パタパタの行先表示も「城崎温泉行」表示を付け加えていく必要がある。取り付けめんどいからいっそLED…なんてことにならないことを祈る。ちなみに今たどっている兵庫県内の山陰線沿線の市町はかなりまとまり、「朝来市」「豊岡市」「香美町」などに再編されることになっている。
城崎からの浜坂ゆきは座席が埋まり、立ちになったがつぎの竹野でまとまった下車があり座れた。城崎までは雪景色一色だったのだが、列車に乗っていくとさっきまで雪だったのが急に晴れ、また雪とめまぐるしく景色が変わっていった。また、このあたりからは海がよく見えてくる。天気が悪いので一層暗い日本海になっていた。
12時37分着の香住で降りることにする。ここもネット上でやや古い画像ながらがホームにあるという情報をつかんでいたが、「かにカニエクスプレス」企画で力はいってるし、ひょっとして更新されてるかも…と思っていたのだが、
乗り継ぎ列車までは50分ほどあるが、香住についた途端に雪ではなく小粒ながらあられが降り出した。なんでやねん…。ただ、カニでにぎわっていると思っていた香住の駅前はびっくりするほど人の気配がない。オフシーズンならともかく、この時期でこんなもんって…。駅前に土産物屋の1つもあるかと思ったが、そんな気の利いたものもなく天気も悪いのでただ待合室でひたすら待つしかなかった。まあ、地方のちょっとした駅はたいてい立派な待合室があるのでその点はありがたいが。
さて、こんどは浜坂だ。やってきたディーゼルカーはそこそこ乗ってるな…と思いきや香住でほとんど降りてしまい、閑散としていた。香住までは1時間毎に運転されるが、ここからはときどき2時間毎になってしまう。相変わらず車窓は雪が舞っていると思ったら急に晴れたり、海が見えたりの繰り返しであった。本数の少ない路線ほど車窓は面白い。そして、餘部鉄橋を通過。高さ41mの鉄橋から見下ろす車窓はすごかった…。トンネルを抜けると集落がはるか真下に見おろす光景に遭遇。車内とわかっていてもちょっとすくんでしまう。反対側は日本海。高いところから見る日本海の景色はまた違うものであった。橋を渡りきり、餘部に停車。鉄橋のところは鉄道写真の撮影地でもあり、三脚や銀箱を担いだファンが乗り降りしていた。ホームには小さな雪だるまが3個置いてあった。地元の子が作ったのだろうか。
13時51分浜坂着。ホームには折り返しの「はまかぜ4号」が停車中。ファンが何人かシャッターを切っている。ホームには…香住と同じパタパタが!「キハ181系とパタパタ」というなんとも前時代的アングルの写真を撮ることができた。ま、「はまかぜ」が国鉄特急色ならなお絵になるのだが。浜坂も香住同様、各ホームにパタパタ、改札口にもパタパタという豪華版であった。でも列車の本数は削減につぐ削減。特急や急行の名前が大量に収められているパタパタであるが、浜坂まで来る名前付き列車はいまや「はまかぜ」と「出雲」だけ。ここではかつて駅弁や立ち食いそばもあったようなのだが、1~2時間に1本では商売になるはずもなく残骸だけが残っていた。正直、昼を食べておらず立ち食いそばを当てにしていたが、結局閑散とした駅前に1軒だけ場違いにあるコンビニ風商店で緊急におにぎりだけ調達するハメになった。浜坂もあられがときおり降るようなすっきりしない天気で駅から出ても仕方がない。約30分待ちで鳥取ゆきが連絡する。やってきたのはタラコ色の「首都圏色」をまとった鳥取鉄道部のキハ47系2両編成。鳥取鉄道部は現在鉄道部オリジナル塗装を一部を除いてはしておらず(JR化に登場したキハ33まで首都圏色化した)、ま、ある意味これはファン受けはするのだが…。さらに香住にしろ浜坂にしろ駅の案内看板は駅名標以外ほとんど取り替えされず国鉄時代の雰囲気が相当に残っており、ここは本当に21世紀のJRなのか?というほどの風景があった。重たい音を出してディーゼルカーは鳥取へ向けて進みだし50分近くかけて県境を越える。風景が急に都市化し、高架に上がるとやがて列車は鳥取に到着した。
乗り換え時間は20分。一旦改札を出て家へのお土産を物色し、また速攻で高架ホームへ駆け上がる。まだ時間があるのでホームの立ち食いそばで腹をふくらませる。ここは鳥取らしく「砂丘そば」という名前だ。値段が全体的に高めだったので基本の「砂丘そば」にした。310円だったか。頼むとヒマそうにしていたおばちゃんがスーパーで売ってるような袋入りそばを出してきたのにはびっくりしたが、食べてみるとこれが意外にうまい。つゆの味がなかなかいいのだ。けっこうつゆが熱かったのだがそれ以上に風が冷たくて寒いのなんの。これぞ立ち食いそばの醍醐味、寒さもうまく中和された…のかどうか。時間もないしそそくさと食べ終えた。連絡は境港ゆきの普通列車、車両は新鋭の(といってももう数年経ったが)キハ126系2両編成である。自治体が資金協力して実現した山陰本線の高速化事業によって国鉄形気動車を置き換えるべく特急用のキハ187系とともに開発された車両である。外見はステンレス製でけっこう無愛想な感じなのだが、車内は木目調を使っていたり温かみのあるカラーリングで意外にいい感じである。座席も4人がけボックスシートながらそんなにかけ心地も悪くはない。両端部にはLEDの案内板も備え付けられ、停車駅案内やPRも流れる。案外気合入れて作った車両だったのかと今更ながら思った。15時半に鳥取を発車、最終目的地、倉吉に向かう。
キハ126は軽快に高架線を飛ばし、やがて地上に降りる。山陰本線の高速化事業で新車が投入され、線路が改良され、鳥取~倉吉間では特急ならノンストップで30分を切る。ただ、単線ゆえに普通列車は対向列車の行き違いで停車時間が長い。ゆえに普通列車は新車でも倍以上時間がかかってしまう。雪もやみ、景色も単調な感じになり、しだいに眠くなってきた。…気がつくと、倉吉が近づいていた。
倉吉は改札にパタパタがあった。3年ほど前、職場の旅行で倉吉を訪れた際、帰り際にふと改札を見上げると「ウオゥアッ!!」っと声は出さなかったがあまりみたことのない装置が設置されていて驚いた。今はどうかな…あるかな…と思いつつ16時27分に到着。ひょいとホームに降りてみると…。
あった~~!!でもなんで併設してるの?と思ったが、よく見るとLEDには「調整中」と貼られている。LEDはもうテスト運用に入っており、やはりもうすぐ取り替えられるのだ。パタパタはかなり年季が入っており「カシャ、カシャ」と1枚1枚止まりながら表示を変えていく。近年運転系統がだいぶ変わったので、列車名はほとんど後付されているが、行先の文字は古めかしい感じがする。そして…
装置を記録し、これで帰ることにする。この時間から18きっぷを使っていては何時になるのかわからないので、一気に17時02分発の「スーパーはくと12号」で帰る。さすがに始発の倉吉から自由席が埋まることはない。禁煙自由席に乗車。発車するとやはり速い速い。妻面には先頭車のカメラでとらえた前面展望が映し出されているが、どんどん景色が後ろへ流れてゆく。ゆきの半分の時間で鳥取に到着し席が埋まる。因美線、智頭急行を経て上郡到着。やっぱり速い。ゆきはノロノロダラダラ行ったとはいえ実に倉吉まで10本乗り継いで9時間以上かけていたのに帰りは1本の特急でたった1時間半あまり。「スーパーはくと」は偉大である。乗り継ぎの普通列車は15分あまりの連絡だが、ホームに待合室がない上にこの日は寒いのなんの。ふきっさらしのホームで凍えながら列車の到着を待つ。やってきた普通は満員。立ってままの到着であった。
今回、パタパタは結構おさえることができた。しかし、まだ埋もれているパタパタがあるかもしれない。しかし、倉吉のようにパタパタのすぐ後ろで新型が出番を待っている、なんてのもありうるだけに、またいずれ近いうちに発車案内取材には出向くこととしよう。ま、いつになるかはわかりませんが…。